流山線 昭和88年(1)

都心からおよそ30分の位置にある旧西武車の楽園・流鉄流山線。そこは目まぐるしく変化する首都圏に在りながら、殆ど平成の空気を感じられないという特異なローカル線です。そんな流鉄をちょっと撮影してきました。


 

鰭ヶ崎から流山に向かいます。

 


もう一回あかぎ号に乗って流山に上陸。この駅も馬橋同様、おそらく30年くらい前から時代が止まっているのではないでしょうか。色々なサイトに1980年代の流鉄の写真がアップされていますが、全くそれと情景が変わっていません。それはさておき、とりあえず留置車両などの写真を撮り駅の反対側へ回ります。その後あかぎ発車、なの花入線・停車をそこで見送りまた駅へ戻って来ました。

 


ホーム。留置車両は朝ラッシュ時に使われていた「若葉号」こと5004F(元287F)。車庫には「流馬号」こと5001F(元273F)がバラされて留置されていた他、「流星号」こと5002F(元275F)も留置されていました。

このままなの花号で馬橋へ戻ります。

 


流山駅を後にします。もちろん低運の特等席に座りながら。

行きとは対照的に、最後尾の乗客は流山からほぼ固定状態でした。1両目にはそこそこ乗って来ているようでした。

 


幸谷を過ぎたら誰もいなくなってしまったので1枚。2枚扉の貫通路と4連窓が特徴の西武顔3ドア車ですが、また一つその名残が消えようとしています。

 


そして馬橋に戻って来ました。この顔に古い駅はやっぱり似合っています。15時を過ぎたので電車は15分間隔。休む間もなく運転士さんが乗りこみベルが鳴ります。そして電車は階段を下りてくる乗客を待ってちょっとの遅れで発車。これぞローカル線です。

 


なの花号が1往復してくるのを待ってもう1回撮影。片や平成生まれの車両ばかりが100キロ超で通過する路線。片や昭和生まれの車両が50キロで走る路線。こんな両者が顔を合わせるのが馬橋駅です。

なの花号の出発を見送って、私たちも帰路に就きました。



ここで皆様に、流鉄を訪れるにあたって知っておくと便利な事を幾つか。

@乗車時は改札スルー、下車時は切符を渡す
流鉄線では「電車に乗る場合」は切符を買った上で、駅員さんに切符を見せること無くそのままホームに入ることができます。そして下車時には駅員さんに切符を回収してもらう形を執っています。「ホームに入場するだけの場合」は入場券(大人120円、子供半額)を購入しなければなりません。

A前もって食料は調達した方が良い
流鉄の駅周辺で食事ができる保証が有るのは馬橋、幸谷だけ。小金城趾〜流山の各駅周辺には食事ができそうな所こそあれど、開店しているかどうかが定かではない状態です。なお鰭ヶ崎駅から歩いて十数分の所には南流山駅周辺の商業地区が有りますし、平和台の駅前のイトーヨーカドー、流山駅前の弁当屋などがあるので、時間に余裕が有るならその辺りで調達する事も出来ます。ただしみっちり撮影したいという場合は馬橋や新松戸で食糧を調達する必要は大アリでしょう。

 


長々とご覧頂きありがとうございました。


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