流山線 昭和88年(1)

都心からおよそ30分の位置にある旧西武車の楽園・流鉄流山線。そこは目まぐるしく変化する首都圏に在りながら、殆ど平成の空気を感じられないという特異なローカル線です。そんな流鉄をちょっと撮影してきました。


 

流鉄線の始発駅は馬橋。常磐線首都圏区間随一のどんよりエリア(私的感想)に位置する同駅には快速も止まりません。それでは、そんな静かな駅からもっと静かな流山駅までの5.7キロを結ぶ流鉄線に乗ってみることにしましょう。

 


JR馬橋駅の改札を左手に出て「流山線」の看板に沿って歩くと、いきなりこんな階段が出迎えてくれます。ポスターと広告以外は全部昭和の物のように感じられます。時刻表は一応2010年に改正された時に取り替えられているはずなのですが、全く「最近作り直した感」がしません。これは恐ろしい。

階段を下りてホームへ。

 


ホーム階に着くと左側に券売機が2台あります。券売機の内1台がタッチパネルのものなのですが、それだけが古い駅施設にミスマッチな感じでかえって不自然に感じられます。そしてこのホームのお出まし。自販機と点字ブロックが無ければ完全に昭和50年代の光景です。

ちなみに流鉄線には自動改札が一台もありません。それどころか「硬券乗車券」が当たり前のように売られているのです。最近ではマニアや観光客向けに硬券の入場券を常備している私鉄もありますが、ここは違います。買い求める人こそ少ないもののバリバリ現役なのです。

 


乗る電車が来ました。2011年に武蔵丘で改造途中の姿として展示された、元新101系277Fの「あかぎ号」こと5003F。277Fといえば最後の方にちょっとだけ新宿線を走っていた印象が有るのですが、今回約2年ぶりに見ることができました。

何枚か写真を撮って車内に入ると、去年まで当たり前のように見ていた薄暗い内装が出迎えてくれました。譲渡の際に殆ど車内には手が付けられていなかったようで、ドアに最近流行りの黄色いテープが貼られていたり乗務員室扉の上に表示機が出来ていたり、といった感じの変化しか見当たりません。

 11時35分、電車は少数の乗客を載せ、けたたましいベルと共に静かに馬橋を出ました。

 


電車は1つ目の中間駅・幸谷で、近くにあるJR新松戸駅からの乗客を拾い一気に乗客を増やします。とはいっても平日のお昼なので席が程々に埋まる程度。そのまま次の駅・小金城趾へ出発します。

私たちは小金城趾で下車。目的はまず上写真の様な交換シーンを撮ること。流鉄の中間駅で唯一交換設備の有る同駅では、日中は必ず交換が行われます。ちなみに日中は2編成で運用される同線ですが何と運の良いことに、撮影に行った日には4月で引退する「なの花号」こと2005F(元701系モハ757-758)が運用されていました。新101系の2両が流鉄向けとして改造され譲渡されるのに伴い、次々に廃車されていった2000系などの「純西武顔」車両ですが、遂に残すところこの1編成となっています。

この2005Fの代わりとして、今武蔵丘に入場している271Fが譲渡される噂もありますが真偽や如何に。

 


駅周辺は異常なほどに閑静な住宅街。車が一台も通りませんし物音の一つもしません。東側に出れば少しだけ商店が有りますが、私たちが下りた西側は本当に家しか無く、訪れた日が寒く曇っていただけあって異様な雰囲気を醸し出していました。そのまま駅から北西方向へ歩きつつ、編成写真を撮りつつ向かったのは坂川。西武線ではこんな風景は見られないので中々興味深いアングルでした。

真夏の風の弱い日にもう一回訪れてみたい場所です。

 

鰭ヶ崎駅前
川から歩いて住宅街を抜けていくと鰭ヶ崎(ひれがさき)駅に着きます。この駅の周辺も商店が少しありますが、小金城趾同様基本は静かです。この駅で「各駅停車入場券」(180円、大人子供2枚セット台紙付き)を買ってから昼食が食べられる場所を探しに南流山へ。ここから南流山へは余裕で歩いて行ける距離なので、鰭ヶ崎や小金城趾の駅周辺を見てガク然としていた私たちにとっては渡りに船でした。

昼を食べて再出撃。

 



南流山から歩いて数分、流鉄の撮影地として有名な場所へ着きます。こんな写真が撮れます。ここも住宅ばかりで静かです。この後鰭ヶ崎へ戻り流山まで電車に揺られます。

 


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